三色旗事件のフランス側対応(2)

 事態が思った以上に深刻なものであり、戦争の危機と国の名誉とのジレンマに

悩んだ総裁政府は、ナポレオンを全権大使としてオーストリア側とラシュタットで

交渉する事にした。オーストリア側は、この柔軟な態度に喜び(*1)、外務大臣

コベンッェルをラシュタットに派遣した。

(*1)ベルナドットと同様の強硬な態度で来ると予想していたらしい。

 

一方で、総裁政府はナポレオンに、全権大使かエジプト方面軍(元はイギリス方面軍で

名前を変えた)司令官の二者択一を迫った。ナポレオンは、エジプト方面軍司令官を

選び、5/20にはツーロンを出港した。代わってタレイランが事情の説明にラシュタットに向かった。

ベルナドットには、ストラスブールに本部がある第5軍管区司令官の任命が5/13に届いたが、

5/16に彼は断りの返事を出し、パリに向かった。

2020年3月30日 修正
5th Military Divisionは第5師団ではなく、第5軍管区に訳語を修正しました。

 

<個人的感想>

 総裁政府が全権大使を持ち出したのは、ナポレオンがうるさくて、さっさと彼の希望する

エジプト遠征に出かけさせる為らしい。ナポレオンとしても、火中の栗を拾うような全権大使を

受けるつもりはなく、ベルナドットの処遇が難航(褒章も処罰も難しい)している事に満足して

冒険的な遠征に出かけたのは当然と思われる。

 

<リンク>

ブログのトップページは、こちら

バタイユゲーム情報班のホームページは、こちら